2018年02月15日
『 負の遺産知ればはじまる遊踏青 』平和の砦575交心zry1503
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負の遺産知ればはじまる遊踏青 仁
利己より利他へ変わり目の季
★★★ FB青柳仁交心zry1501『 負の遺産知ればはじまる遊踏青 』 へどうぞ!!! ★★★
【 武田 康弘 】 今日の「恋知の会」
日本人の悦び・楽しみ・幸福感に乏しい生き方の根源的理由について。
意味論なき事実学の累積がもたらす不幸=豊かな人間性の開花を阻害する単なる「事実人」としての優秀さを求める限り、エゴイズム(戦前の国家エゴイズムと戦後の個人エゴイズム)にハマったまま脱け出れないこと、
【閉じた】生き方の元凶は、天皇を神とした水戸学と国学にあることー明治の国体思想=国家エゴイズムを大元から断たない限り未来は拓けないこと、をお話しました。
明治維新の負の遺産(日本人に哲学なし=個人になれない)の深さと大きさを自覚することは何より必要。
☆☆☆ 武田康弘zry15『 今日の「恋知の会」 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
この心春の空から取り込まん 仁
いのちの声に随うこころ
> 明治政府の富国強兵政策は、一人ひとりの私の欲望を愛国主義のもとに国家への欲望として統一し、滅私奉公を合言葉にしましたが、これは、広く世界に開かれた関心・興味・欲望ではなく、日本に閉じた関心・興味・欲望でした。
日本国家という概念は、あくまで言葉=概念ですから、それを目に見えるものとする必要が、天皇とその家族=皇室でした。日本を象徴する特別な人間・家族を置くことで、国体という概念を子どもにも分からせようとする政策で、小学1年生から天皇像を毎日拝ませ、日本国への忠義の心=愛国心を養ったわけです。
☆☆☆ 武田康弘zry11『 明治維新がつくった精神は、エゴイズムです。今年で150年 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
日常に渦巻く慣習春嵐 仁
従順市民は真人ならず
> (前略)ざっとだが、これが幕末期萩藩の清掃の流れとなる。実は、この中に幕末維新と現代を結ぶキーマンがいる。
そのキーマンとは坪井久右衛門だ。
枯は子どもの頃に坪井家の養子となって坪井姓を名乗っているが、もともとの名前は違う。
彼の元の苗字は佐藤。
そう。第61~63内閣総理大臣、佐藤栄作の祖先なのだ。ご存じのように佐藤栄作の実兄は第56、57代内閣総理大臣、岸信介。
つまり、佐藤と岸の兄弟は、高杉晋作から俗論派などという悪名を押しつけられた佐幕恭順派の領袖、坪井久右衛門の血脈だったのである。
それだけではない。
信介、栄作兄弟の曾祖父である元萩藩士、佐藤信寛は長沼流兵学を修めた学者で、なんと吉田松陰に兵要録を授けている。坪井久右衛門と違い、信寛は正義派のほうについており、維新後は浜田県知事、島根県令を歴任している。
『岸信介傳』によれば、晩年は山口県熊毛郡田布施町戒ケ下の別荘に住み、伊藤博文や有栖川宮熾仁親王も遊びにきていたという実力者だ。
降る雪や今も明治の檻の中 仁
明治に対峙主権の樹立
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意味論なき事実学の累積がもたらす不幸=豊かな人間性の開花を阻害する単なる「事実人」としての優秀さを求める限り、エゴイズム(戦前の国家エゴイズムと戦後の個人エゴイズム)にハマったまま脱け出れないこと、
【閉じた】生き方の元凶は、天皇を神とした水戸学と国学にあることー明治の国体思想=国家エゴイズムを大元から断たない限り未来は拓けないこと、をお話しました。
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> 明治政府の富国強兵政策は、一人ひとりの私の欲望を愛国主義のもとに国家への欲望として統一し、滅私奉公を合言葉にしましたが、これは、広く世界に開かれた関心・興味・欲望ではなく、日本に閉じた関心・興味・欲望でした。
日本国家という概念は、あくまで言葉=概念ですから、それを目に見えるものとする必要が、天皇とその家族=皇室でした。日本を象徴する特別な人間・家族を置くことで、国体という概念を子どもにも分からせようとする政策で、小学1年生から天皇像を毎日拝ませ、日本国への忠義の心=愛国心を養ったわけです。
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従順市民は真人ならず
> (前略)ざっとだが、これが幕末期萩藩の清掃の流れとなる。実は、この中に幕末維新と現代を結ぶキーマンがいる。
そのキーマンとは坪井久右衛門だ。
枯は子どもの頃に坪井家の養子となって坪井姓を名乗っているが、もともとの名前は違う。
彼の元の苗字は佐藤。
そう。第61~63内閣総理大臣、佐藤栄作の祖先なのだ。ご存じのように佐藤栄作の実兄は第56、57代内閣総理大臣、岸信介。
つまり、佐藤と岸の兄弟は、高杉晋作から俗論派などという悪名を押しつけられた佐幕恭順派の領袖、坪井久右衛門の血脈だったのである。
それだけではない。
信介、栄作兄弟の曾祖父である元萩藩士、佐藤信寛は長沼流兵学を修めた学者で、なんと吉田松陰に兵要録を授けている。坪井久右衛門と違い、信寛は正義派のほうについており、維新後は浜田県知事、島根県令を歴任している。
『岸信介傳』によれば、晩年は山口県熊毛郡田布施町戒ケ下の別荘に住み、伊藤博文や有栖川宮熾仁親王も遊びにきていたという実力者だ。
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