2013年06月18日
『 息吸って山河も吸いぬ夏景色 』 優游575交心
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★ 優游575交心v13t061003
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息吸って山河も吸いぬ夏景色
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息吸って山河も吸いぬ夏景色
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遊呼さん、いつもあい風交心ありがとうございます。
> メールだめコメントも駄目足音も遠ざかるまま縁ほろほろ 遊呼
だめ押しのだめだめづくし不如帰 仁
則天去私の居ながらづくし
なんと九州にもまだ不如帰が鳴いていることを知りました。
今年はいっそうよく鳴き渡っているそうです。先日青臭会に病回復祝の青臭会を柳川でしてもらいましたが、古賀市の里山に住む友人が家にいて毎日聴いているということです。そんなに毎日聴くことができるはずはないと疑ってみたんですが、間違いないという。泊まりに行って実際にその鳴き声を聴いてみたいのですが、まだ行ける状態ではないので、見送っています。小私少欲の居ながら妄想遊行が日常のマインドコントロールの妙適方便です。
ほととぎす無為のいのちに時計なし 仁
山は緑に雲は流るる
昔も今も、凡愚老仁は凡愚老仁のままで、日々の変化があるばかりで心変わりはないつもりで生きていますけれど、ひとの眼にはいろいろと変化したり、本音を隠す人間に見えたり、偽悪者に見えたりしているようです。ひとの見え方は、その人の心の写しでしょうから、その通り受け容れていくほかありません。
それでも、昔も今も変わらない自分だというのは、凡愚老仁のスタンスの在り様であって、日常の現れは現れたまんまですから、心変わりがあるように見られても、これも受け容れて、ごめんなさいと謝るほかありません。良寛さんはそんな時黙って下を向いて生きていったんでしょうね・・・
スタンスは人の生き方の根源的な軸ですから、眼に見えるものではありません。現れを通して感じるしかないのでしょうね。命がシンクロし合うように、スタンスもシンクロし合うものなんでしょう。
良寛さんは村人と共に命のシンクロを生きた人だったと感じます。菩薩さんというのも妙好人というのもそんなただの人をいうのでしょうね・・・
日常日々変化するのはその時その時の現れで、自分という乗り物に乗っている乗り物が変化して見えるのでしょう。<自分の身体をきちんと乗りこなそう>という詩(OZIOさんのBLOG)に今朝巡り遇って、そんなことをつれづれ反省しています。
> 乗りもの OZ
違う所に重心があるという
知らせなのに
気づかないふりをして
見過ごしてしまう
心における不快感も
無になっていないという
知らせなのに
気づかなふりをして
いろいろな意味を付けて
何かのせいにしてしまう
さあ
自分の身体をきちんと乗りこなそう
ほかの乗りものを乗りこなすまえに
☆☆☆ OZさんさんの『 乗りもの 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
息吸って山河も吸いぬ夏景色 仁
生きもうけして平穏好日
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★★★ 仁の万葉集を遊ぶ交心v13t060101『 虚仮の世は真夏の夢よ遊ばんか 』 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 筑紫路を歩くv13x030702『 謎解きの迷路出られず春の闇 』 へどうぞ!!! ★★★
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Posted by 青柳仁 at 20:29│Comments(0)
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